設立の背景:日本の伝統音楽について


     古くは5世紀に朝鮮半島より、7世紀から9世紀には中国より、高度に発達した大陸の音楽や楽器が輸入され、その影響を受けながら、音に対する日本人特有の感性をいかして発展しました。701年には雅楽寮が設置され、宮廷の祭事で演奏されるようになり、琵琶や箏など、現在日本で使われている伝統楽器の多くは、雅楽の合奏楽器の一部として移入され、それが一般人にも広まり、独自の発展を遂げたのです。
16世紀半ばに沖縄から日本本土に三線(さんしん)が伝来、これを改作したものが三味線で、三味線は庶民にも広く親しまれるようになりました。江戸時代には、歌舞伎や文楽など劇場音楽が発展し、箏だけでなく唄や三味線にも新たな息吹が吹き込まれ、のちに、現在の箏、三弦(三味線の地歌での呼称)、尺八による三曲合奏の土台となるような新たな楽曲が生まれました。
     明治維新は、軍楽、吹奏楽、合唱作品などの西洋音楽を日本にもたらし、1880年代には、政府の欧化政策の一部として、西洋音楽が学校教育に導入されました。そして、1887年には東京音楽学校が設立されました。のちには交響楽団も設立され、西洋音楽は、日本の文化生活において大きな位置を占めるようになりました。
     このように、洋楽におされて邦楽が下火になっていた中、箏曲の著名な作曲家であり、また演奏家でもある宮城道雄(みやぎみちお)(1894-1956)が、西洋音楽から着想を得た音楽様式を採り入れたり、従来にない箏の新手法や十七弦という低音域の箏を考案したりすることで、20世紀初頭の邦楽界に大きな変革をもたらしました。宮城道雄が取り組んだ日本音楽の近代化は、20世紀後半に活躍した中島雅楽之都(なかしま うたしと)、中能島欣一(なかのしま きんいち)、唯是震一(ゆいぜ しんいち)、沢井忠夫(さわい ただお)など、影響力のある数多くの作曲家や演奏家によって、さらに推し進められ発展しました。
     今日、日本音楽(邦楽)は、個人の教授所、カルチャースクール、音楽教育専門機関、高校・大学などで教授されています。しかし、残念ながら日本には現在専門的なレベルでの邦楽の教授を英語で行っている機関はほとんどありません。そのようなプログラムの必要性を認識し、正派邦楽会は、日本の伝統楽器を英語で学ぶことのできるインターナショナル・サマースクールを開催することとしました。その初の開催となる2016年のプログラムでは三曲合奏に焦点をあて、箏、三弦、尺八の実技講習を一週間集中講座として行います。